2017年11月15日水曜日

時代をさかのぼる旅

 平成29年11月12(日)~13日(月)、昌造園御一行様(?)は
今年も恒例、バスの旅に出かけました。

今回の行き先は南信州、そう、今年も信州です(^_^;)

中央アルプス(木曽山脈)を挟んだ地域
飯田~天竜峡~昼神温泉~馬籠宿~妻籠宿をめぐりました
バスに大道具を持ち込んで・・・
たて80cm×よこ60cmの段ボールに地図をパッチワーク
諏訪湖から中央高速を南下してその左側の木曽山脈をは挟んで北上する木曽街道あたり
今回はいつも利用する主要高速道路と江戸時代の街道を重ね合わせて
旅のシナリオを作りました
歴史に疎いこの自分が

テーマは勝手に「時代をさかのぼる旅」

え!!またやるの?
せっかく行くのだったら背景があったほうが楽しいと・・・
おせっかいから・・・

だれもやってとは言ってない・・・・
のではありますが・・・
去年があるのでそこは、ある空気感から(^_^;)

そんなこんなで

先人たちが参勤交代で通ったであろう道を
感じながらの旅になったら面白いと思いました。

バスは会社を出発

車中、にわかバスガイド始まりました!
まずは五街道をイメージしてもらおうとこんなフリップ

かつて参勤交代であれほど賑わっていたはずの街道筋が
ほとんど、なぜ軒並み活気を失ったのか?
調べてみると面白いことがいっぱいありました

もしやそういう映画はないのだろうか?
ありましたね!
「超高速!参勤交代(本木克英監督)

江戸から戻ったばかりのいなか大名にある疑惑がかかり
すぐまた江戸へ5日の内に参勤するよう呼び出され
財力の乏しい藩が知恵と人海戦術で期限内に参勤して
疑いを晴らすというコミカルな映画だったと思う・・
ガイドするためのイメージづくりに大いに参考になりました。

そこでこんなフリップ

今はふつう「勤」の字を使いまよね。正しくは「覲」の字を書くそうです
「まみえる」と読み、目上の人に会いに行くとあります。


つまり将軍様に会いに行くのです
会いたくもなくても



諸大名は武家諸法度により一年おきに、江戸と自領を行き来することを
義務付けられてしまったのですね
厳しい財政のなか、わざわざ大金をかけて行きたくありません!
といって行かないとどうなるか
その藩はおとり潰し?藩主は打ち首?
「仕方ない、じゃあ行きますか」ということで
長ーい、長ーい、大名行列
すると少しでも早く江戸との行き来ができるようにということで
橋や街道の整備にお金がかかります
それどころか、国元の居城と江戸の藩邸両方の維持などで
莫大な負担を強いられたのですね
財力、兵力とも吸い取られ、たてつくこともならず
徳川家は長く戦争のない時代を確立したわけなんですね

調べたらこんなお大名たちの分類がありました

知らない言葉が出てくる出てくる!
調べているうちにどんどん本題から遠ざかり(^_^;)
え、城持ち
そういえば、地元本納にもお城の跡があったような・・・

本納城
いまは公園となって「跡」として残っていますね
いちど見に行ってみないと
桜の時季がいいと聞いていますが


で、本題に

そのお大名たちの藩の大きさを表現するのに「石」という単位が使われますが
「一石」は大人ひとりが一年に食べる米の量に相当することから
兵士たちに与える報酬とみなせば兵力をも意味していたといわれるそうです
表高1万石あたり概ね200人程度の軍勢を動員(江戸の警護)する義務を負い
年間玄米1.8石が標準的な扶持米として支給されたそうです

これが1斗缶
×
10個 = 1石
1斗 = 10升
1升 = 10合
1石 = 1000合 1000÷365日 = 2.7合 → 一日分の食料
 
現代では、一日に米を2.7合も食べられないですよね

それで、なんでしたっけ?

そんな何万石という藩が参勤交代するわけです
その参勤交代を取り仕切るのが御家老
当時の加賀藩の記録が残っているそうす

旅の総責任者、供家老 横山蔵人が記録した「 御道中日記 」によると
旅が始まる半年前からダイヤグラムのような「 金沢板橋間駅々里程表 」という
金沢から江戸迄の各宿駅間の移動距離がわかる表を使い旅程を計画したらしい
なんでも、事前に幕府へはいついつまでに到着します
という届けが必要だったらしいですね


NHKヒストリアから拝借

そうして金沢から江戸までを踏破する計画がつくられたようです
寛政10年4月4日に大行列で金沢城を出発し
城下の出入り口の門まで来ると行列の人数を減らし歩きやすい旅姿に着替えて
本格的な参勤の旅へとスタートしたようです
一日約40Kmの強行軍で進むも、途中、大雨で黒部川を渡れず
20kmも上流まで大回りするかたちで加賀藩が参勤交代のためだけに架橋した

当時の橋を復元した模型、現在は鉄の橋に架け変わっている

愛本橋をとおり4月11日に越後へ入り道中最大の難所
砂利浜になっている親知らずの海岸を渡ったそうです
ここは海の荒れているときは波よけ人足を700名ほども雇って
麻縄を持たせて波をブロックして渡ったらしいから驚き!

何がって

700名雇うお金も相当だし、そんなんで波が避けられるの?
っておもいませんか?

そんな大掛かりで19日目にようやく加賀藩の下屋敷板橋宿へ到着し
ここで再び、参勤用の立派な着物に着替えて大名行列をして
江戸城の徳川さまに覲えたというわけですね

たとえば、途中天候などで予定通りの旅程にならなかったりすると
予定していた宿場での宿泊をキャンセルして
次の宿場に変更になったりとかあったようで
すると
宿場の宿主たちは血相を変えて跡を追い談判したそうですが
受け入れられなかったそうです

それはまさに死活問題ですものね
だって何百人ですよ
仮に200人
一泊7,000円としても
140万円
ほかに畳の張り替えなどにかけたお金が
一切入って来なくなるわけですから
蒼くなります

また、ほかの藩の例などでは
武士1639人、人足2337人、馬103頭を擁したという記録があるようで
せまい宿場町にどれだけの人々があふれていたのか
当時の宿場の活気と好景気ぶりは
想像を絶しますよね

先ほどのようなことがあると宿主たちも蒼くなりますが
もっと蒼くなったのは大名と御家老だったのではとおもいます
だって、遅延が一日発生するだけで
現代の貨幣価値にして数千万円から数億円相当の損失になったというのです
だから道中、不整備な橋や道路は藩の財政で建設や整備を
しなければもっと浪費になる、という
おそろしい仕組み

いやいや、どちらにしてもお金を使わせる仕組みがうまく
できていたのですね
各藩に力をつけさせないという

ひ、ひどい!徳川幕府

これが260年安泰の要因だったんだ

でも

歴史に永遠はないんですね

下田にペリーさんが開国を求めてやってきて
国を守ろうとした幕府が
参勤交代制を緩めたことで
いままで耐えてきた諸藩が氾濫し
討幕運動に繋がっていく
という

やがて
文明開化の風が吹いてくるんですね

拙いガイドの説明を聞きながら、車中は宴たけなわ
アルコールの匂いでいっぱい(^_^;)
かなりのピッチで吸いこまれたアルコールは
当然、尿意へと・・・・
予定以外のトイレ休憩が数を増し
あれ?
原稿で用意していた休憩所
諏訪湖P.A.パス?

予定外・・・
ほんとは降りて山並みを見て置いてもらって
江戸から諏訪湖へつなげたかったけれど
まあ、いいか

これから向かう天竜川は、この諏訪湖が始まりだし

で、どんなふうに江戸時代から話を続けたかというと

もともと日本には古くから天蚕業が存在していたという事で

まだ、鎖国の続いていた日本でしたが長崎の出島では
薩摩藩や対馬藩を介して、オランダ・中国・朝鮮などと貿易をしていたそうで
当時の輸入は「生糸」でおもに京都の西陣で織物用として受け入れられていたようですね

それに対して、日本からは金・銀・銅などの鉱物が輸出されていたようです
けれど、そんな鉱山も採りつくして輸出できるものがなくなり
幕府は生糸の輸入を制限すると
もともと国内にもあった農家が副業としていた天蚕業の
需要が増加して行ったそうです
それから我が国は開港したことで欧米市場へ輸出する道が開かれたわけです

文明開化の音がする

そんなことばがありましたね
一部では華やかな文明がどんどん広がって行ったのでしょうか

あの世界遺産登録で有名になった
富岡製糸工場
ここを川きりに日本各地で質のいい生糸を生産する工場がたくさんできたそうです

そして

さきほどの諏訪湖周辺にも全国で一二位を争うほどの工場が林立していたそうです

岡谷市にある製糸工場
 さてさて、その製糸工場が好景気で人で不足になってくると
地域周辺の人出では足りず、とおく野麦峠を越えて
飛騨の高山地方の農村から
まだ、うら若い10代の女子たちが工女として働きに来ていたそうです
参勤交代で栄えていた街道筋が
錆びれてしまっていたからでしょうか
貧しい生活を助けるために
半ば身売り同然で年季奉公に出されたといいます

工女たちは朝の5時から夜の10時までほとんど休みなく
過酷な労働に従事したそうです

工場の中は、繭を茹でる蒸気の蒸し暑さと
さなぎの異臭漂う中で
百円工女を目標に生糸を紡いでいたのだそうです
過酷な労働のため結核などの病気に罹ったり
あまりの過酷さに諏訪湖に身を投げて命を絶つものもいたとか
現代でも働き過ぎによる過労死が問題になりますが
もっと過酷だったのかしら・・・
とにかく監視の目が厳しかったようで

工場づとめは 監獄づとめ 金のくさりがないばかり
カゴの鳥より 監獄よりも 製糸づとめは なおつらい

という歌まで流行ったそうで

山本茂実のノンフィクション「ああ、野麦峠」のなかにも
出てくる一節です、映画化にもなっていますね

百円工女ともてはやされた「政井みね」さんが
病に倒れ、最後は打ち捨てられるようにして
仲間と働いていた工場を後にし
野麦峠を越えて迎えに来た兄、政井辰二郎の背中で
「あー、飛騨が見える」とつぶやいて
飛騨に還ることなく野麦峠で命尽きたという
北に乗鞍岳、南に御嶽山が望める素晴らしい野麦峠に
今も最後の姿の像があるそうです

華やかに突き進む文明開化の裏に
こういう史実があったことも忘れたくないですね

そんなことを説明しながら
その諏訪湖から天竜川を南下して行きます
途中天竜川沿いに多数点在するダムなんかの説明も加えながら

飯田市へと入ってきました

ようやくお昼です

飯田市が誇る伝統工芸の水引で作られた菊人形
そう、ここ飯田は昔から水引細工が有名でお昼を頂いた
山都飯田さんは宮内庁御用達の指定店になっているそうです

頂いたのは松茸御膳
いよいよこのあと本日のメインイベント
「天竜舟下り」
実は私の伯母がまさにこの地元なのでとても懐かしく
最近は足が遠のいていたのでうれしくてたまりません

ちょうど去年の今頃、天皇皇后両陛下がこの地に
お立寄りになり、ご観覧されたそうで
うれしさ100倍でした

天竜奥三河国定公園の一部になっていて
暴れ川といわれた天竜川が切り開いた絶景の続く渓谷になっています。
花崗岩の岸壁にはアカマツやモミジが自生し
新緑や紅葉がきれいで、その風光明媚な景色が温泉街として
相当な賑わいを見せていた時期もありました。
残念なことに近年では道路事情や大型バスの乗り入れの悪さから
近隣にある昼神温泉にその座を譲ってしまいました
とても切ない思いでいっぱいです

さてさて

大人になってからの舟下りは初めてでワクワク
ライフジャケットをつけて
いざ、乗舟
前日の雨で水量が多かった
心強いライフジャケット(^_^;)

大切なカメラを濡らさないように

船頭さんがパンを投げると低空飛行でやってくる迫力

揺れる舟で記念写真の申込み用紙に・・・

おっと、濡れないようにね

橋の下から大きく右にカーブしてゆく

滔々と流れる川面は冷たく

おっと、少し激流
想像していたよりみんな満足だった様子
選んでよかった(#^.^#)

本日最後は
何年か前に訪れた善光寺の続き

元善光寺へ参詣

どちらかというと
長野市にある善光寺のほうが有名ですが
じつは
こちらが元祖なのですね

本多善光公が国司のお供をして都に上がった折に難波の堀で
見つけた阿弥陀如来を故郷へ連れて帰りお祀りしたのが
今の、元善光寺さんなんだうです
そのごの阿弥陀如来のお告げで現在の長野市に移すことになった際に
「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の里に帰り来て衆生を化益せん」
というご請願を残されたそうです
そのような経緯から

一度詣れよ 元善光寺 善光寺だけでは 片詣り

という言い伝えがあるそうです

はい!

お疲れ様でした

お付き合いくださいまして、ありがとうございます

一日目はここ、昼神温泉にて一日の疲れを休めさせて頂きました

天皇皇后両陛下がお泊りになられたお宿でした

宴会の始まりです!

お決まりのコンパニオンさんもご登場で

あらあ、ノリノリですね!

いいですね、男らしく!

新人の愛ちゃんも勇気を出して歌いました

キーが高すぎると(^_^;)

仰げば尊し、渋い!

歌いこんでますね(#^.^#)

宴会とはいえ緊張するね


和やかに談笑

お料理はどうだったでしょうか

きれいな紅葉でしたね

朝日を浴びて記念写真
ここ昼神温泉のある阿智村は、今、環境省認定の日本一星空が
きれいな村として指定を受けていて、
10/22~11/23のあいだ標高1400mの地点までロープウェイで登り
星空遊覧を体験するナイトツアーができるところとして
フィーチャーされていますね
また、早朝の雲海ツアーというのもあるそうです
今度は個人的に訪れてみたい場所です

宿の前で記念写真を撮り二日目の目的地
木曽山脈(中央アルプス)を挟んで左側
木曽街道を登って行く最初の宿場町
馬籠宿妻籠宿です

昔のままの水車が今も生きている
あの島崎藤村が「夜明け前」の冒頭に書いた
まさにその情景そのままの道を進んでゆきます

木曽路はすべて山の中である
あるところは岨づたいに行く崖の道であり
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり
あるところは山の尾をめぐる谷の入口である
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた

雰囲気がよく伝わってくる一節なのでもう少し

馬籠は木曽11宿のひとつで、この長い渓谷の尽きたところにある
西よりする木曽路の最初の入口にあたる
そこは美濃境にも近い
美濃方面から十曲峠に沿うて曲がりくねった山坂をよじ登ってくるものは
高い峠の上の位置にこの宿場を見つける
街道の両側には一段ずつ石垣を築いて
その上に民家を建てたようなところで
風雪を凌ぐための石を載せた板屋根が
その左右に並んでいる
宿場らしい高札の立ところを中心に
本陣、問屋、年寄、伝馬役、定歩行役、水役、七里役などよりなる
百軒ばかりの家々が主な部分で
まだそのほかに宿内の控えとなっている小名の家数を加えると
60軒ばかりの民家を数える
荒町、みつや、横手、中のかや、磐田、峠などの部落がそれだ
そこの宿はずれでは狸の膏薬を売る
名物栗こわめしの看板を軒に掛けて
従来の客を持つ御休処もある
山の中とは言いながら
広い空は恵那山のふもとの方にひらけて
美濃の平野を望むことのできるような位置にもある
なんとなく西の空気も通ってくるようなところだ

島崎藤村 「夜明け前」本分より抜粋


江戸時代の残る高札を背景に

ちょんまげをつけてもらいたかったなぁ!若者たちに

町の人々の愛着の現れですね

街並みによくお似合いです

黄金に輝く大イチョウのもとで
町の至る所に江戸の匂いが残っているように感じられました
少しでもバスの中で勉強してきたことが
ここへ繋がってくれたら幸せです

昔を知って今があることを不思議な感覚で
旅をさせて頂きました

ありがとうございました

by MuRaKi


2017年11月11日土曜日

臨時休業のお知らせ

気が付けば今年もあとひと月とちょっと。
なんだかあっという間ですね!今年一年、なんだか気候がおかしい、というか・・・
その季節らしさ、というものがあまり感じられずに過ぎてきたような気がします。
みなさんはどうお感じでしょうか?
お店の前庭のおおきなケヤキの樹が紅葉を楽しむ間もなく、
台風に葉っぱを全部さらわれてしまいました。
毎年たいへんな落ち葉掃きをせずに済みましたが^_^;
それでも季節は動いてゆきます。

さて、昌造園は11月12日(日)~13日(月)を社内研修旅行のため
臨時休業とさせて頂きます。

11月14日(火)より通常営業となります。
ご迷惑をおかけいたします。

スタッフ一同

2017年8月29日火曜日

店内の植栽

暑い、暑い!
毎日、まだまだ厚さが厳しいです
ずっと気になっていた店舗敷地内の木、木、木の勢いが
なくなってきたので店舗スタッフの大宮くんに
土の掘り起こし作業と土と肥料の補充をお願い
ヤマボウシの土止めをミカモ石で作ってもらいました
根本に少し色付けを・・・・
少し時期が遅いかもしれませんが
コキアとナデシコを
で、乾燥防止にバークデコを追加しました!
これ、リニューアル中のホームページの商品ページ用
comment写真に使用するために(^_^;)
どうでしょう・・・・






2017年8月9日水曜日

お盆休みのお知らせ

立秋を過ぎて気分はなんだか寂しくなりましたが、まだ暑い日は続きます。
欅の木立は大きな葉影をつくり涼しげです。
足元を見ると数日前まで蕾だった白ユリの花が開花していました。
たったの一輪だけ。
あれ?ユリは球根じゃなかったでしょうか?
2,3年前からネジバナは毎年確認していましたが、白ユリは今年初めてです。
夏にたったの一輪だけ、凛としていいものです。

昌造園は8月13日(日)から18日(金)までお盆休みを頂きます。
19日(土)から通常通りの営業となります。




2017年7月4日火曜日

おたまじゃくし!

梅雨も明けていないのに太平洋高気圧と台風3号までやってきて
日本列島はにぎやかです。
すでに各地で被害も出ている様子なのは心配です。
ここ茂原でも風のかんじが怪しくなって来たようです。
台風に備えて店舗スタッフの大宮君が幟を仕舞ってくれました。
ほかに変わった様子は・・・・と、
ふと、伊勢の水鉢に目をやると黒いものがモニョモニョ。
近づいてみるとたくさんのオタマジャクシ!
しかも、ひとつの水鉢ではなく、数個に繁殖している!
いつ、どこからカエル君が出てきて卵を産んだの?
このまま水が残っているうちにカエルになるんだろうか?
この全部のオタマくんがカエルになって・・・・
す、すごい数!ちょっとキモい・・・
でも、見て見たい。
気になるオタマジャクシたちでした。



2017年5月23日火曜日

遅ればせながら初めまして、愛です。

 私が入社してすでに1か月がたちました。
投稿が遅れてしまいすみません。お待たせいたしました(笑)


 働いて、初め思ったのは、お店の石のオブジェがかわいいこと。
イヌやネコ、キツネに、タヌキ。さらには、ゾウや、フクロウやペンギンまで。
動物園みたいで、面白いです。
 また、雪のように、ひらりふわりとサクラの花びらが舞うなかで、掃き掃除をしたことも、あまりにきれいで得した気分でした。

 ツバメがみられるようになり、現場や仕事にもすこしですが、慣れてきたと思います。
ですが慣れてきたからこそ、まだまだだと感じています。早く、仕事を覚えてできることを増やしていきたいです。
 至らない私ですが、どうかよろしくお願いします。

2017年1月16日月曜日

厳しい寒さ

お正月気分もすっかりどこへやら

センター試験の頃になると毎年
寒波の影響で大変なことになるけれど
今年も例外ではなくやはりいろいろな場所で
多くの被害に見舞われている

そんな寒空この時期、外での作業はたいへん厳しいことと・・・・

先週の土曜日当店の敷地内及び側道の
アスファルト舗装の補修工事が行われた
現場の人曰く、アスファルト均しているいるときは結構
暖かいそうだが、冷めてくればやはり外での作業は
寒いですよね

こういう時は甘酒でもあると体が温まっていいのでしょうね
残念ながらこの日はご用意できませんでしたが(^_^;)

現場の方たち、お疲れ様です!